お知らせ
先日、子どものお迎えに行った際に担任の先生から、「最近Aくんが涙目になっていることが多くて…。」
と共有を受けました。はて、なんでそんなことになったのだろう?と本人に聞いてみても、
「え、何のこと???わかんない…。」
と言われ、保護者さんやその子の兄弟にも「最近なんかありましたかね…?」と聞いていくと、
「あ〜最近、忘れ物が多くて忘れ物がないかどうか確認するんですけど、忘れちゃうことがあって
忘れ物に対して結構敏感になってるかもしれません…。」
というお話が出てきました。
このことを知り、担任の先生に電話で伝えると
「あ、そうだったんですね!しんどいのかなぁと思っていたのですが、本人に理由を聞いても分からなくてどうしようとモヤモヤしていたんです。
帰るときの忘れ物チェックは一緒にやるようにしますね!
また忘れ物をしても次頑張って持ってこよう!と前向きに受け取れる言葉を探してみます!」
とお返事をもらいました。
その時に最近読んだ漫画の一説を思い出しました。
「自分に苦手なものがあると認知してる教師は、生徒にもそれがあると理解できる。
自分にできることは人もできる、自分はこうだったから人もそうだろう、そう信じる教師は多くを取りこぼすことになる。」
自分が出来ないことがあるように、自分の目の前にいる人にもなにか苦手なものがあっても不思議ではないと頭では理解することができます。
哲学の父、ソクラテスが言っていた「無知の知」と似ているなぁという感覚を持っています。
今回のAくんですが、涙目になっていることを本人は忘れてしまったり、自分の気持ちをうまく人に伝えることができなかったとしても、それに気付いてくれる先生がいたこと。
その理由(かもしれない)に対して、どうやったらよいかと考えてくれる大人が周りにいることはとっても嬉しいことだと僕は思いました。
学童保育で過ごす時間は、年間で換算すると学校で過ごすよりも長い時間を過ごしていて、子どもに与える影響は学校と同じくらいある、と先日受けた研修で聞きました。
どんなに長い時間を過ごしていても子どもの全てを知っているわけではなく、自分には見せない感情や行動、ここでしか見られない姿だけで理解したと考えない。
子どもと保護者さんに「全部は分からないし、知らないし、知られたくないだろうけど、分かって欲しい部分はしっかり知りたいと思っていますよ!!」という気持ちを常々持ち、Aくんの担任の先生のようにありたいと改めて姿勢を正したいと思いました。
あっとすくーる職員
遠藤 大知